岩倉炭礦 千葉毅 経営

宮城県栗原郡栗駒町文字東戸井沢

岩倉炭礦沿革

明治34年 
高田慎蔵 宮城県採掘権登録第92号(亜炭鉱)


大正14年 
共立鉱業株式会社所有


昭和 6年 
千葉盛経営。
岩倉炭礦と称す。
最盛期は作業人員60余名。年産6千トン


昭和46年 
千葉毅が継承
亜炭に併せてけい砂の生産を始める。亜炭の生産年1千トン、けい砂の生産5千トン


平成の時代
亜炭が年200トン前後、けい砂も数百トンという時期が続いた。

平成13年
東北最後の亜炭鉱山も閉山

岩倉炭礦操業時の写真

(操業当時:持元氏提供)

岩倉炭礦

平成12年11月

亜炭採掘に当たり出た質の低いもの(ずり)や
土砂をトロッコで運び出し捨てる。

トロッコの軌道も撤去した。

とろっこ:亜炭の運搬に用いた軽軌道

鉱脈はまだまだあるが、
販売先がないこととコストの問題で.....

最後の亜炭坑
平成9年まで採掘していた。
大雨により坑内の電気施設が水没し
復旧コストの 問題から平成12年閉鎖。

坑口を全て封鎖した。

昭和45年以降は亜炭の需要の落ち込みを
けい砂の生産でカバーしてきた。
平成の時代に入り輸入ものとのコスト競争や
造船所の需要の落ち込みによって平成12年
閉山を決断。

倉庫や休憩所は他の事業に転用を
検討中で、できれば現状のまま残したい。

正面に見える休憩所は、昭和40年代まで作
業員宿舎(当時は長屋と呼んでいた)として使
用されていた。
最盛期(昭和20年代)には60数人の従業員
が亜炭の採掘や運搬に従事していてこのよう
な宿舎が何棟もあった。

手作りの施設であったが為に
取り壊し作業には断腸の思いである。

この最後の坑口は高さ1m50cm程度で総延長
は2kmを越える斜坑であった。
掘削作業中は常時ポンプにより水を汲み上げ
ていた。鉱脈としてはまだまだ良質な亜炭を採
掘可能であったが、ポンプの能力を超える出
水により坑内の電気設備が全て水没し復旧コ
ストがかかりすぎることから、閉山を決断した。

これまで作業に従事していた従業員も
高齢化し二度と炭坑を再開できない。

選炭場:良質な亜炭とそうでないものを選別し
トラックや馬車の荷台に積み込んだ。

選炭場も取り壊してしまった。

コストを抑えて赤字を小さくするために、ほとん
ど手作りの施設であった。経営者の千葉毅が
従業員数名と最後まで継続にこだわった。

看板は未だ撤去できない。